今年の9月と10月、強い勢力の台風とその時期の大雨の影響で、
河川敷や、安全上の問題で河川の一部として扱われている土地などは濁流に飲まれました。
農業用水路にも大きな影響がありましたし、
なかには、濁流が水田に流れ込んでしまい、
全く収拾のつかない甚大な被害を受けてたことで、今後は稲作を諦めるような方々までいらっしゃいますよね。
まったくイメージの付かない人は、けっこう軽く考えがちのようですが、
農業用水路や水田などは、緻密に計算されて水を通した先人たちの知恵の結晶だと感じています。
そして、私のような素人目にも、そう簡単には元の状態には戻せないものだと想像は付きます。
農業用水路や分流地点、高低差の足りない部分は溜池を作ったりするなど、最終的にまた水の流れが河川に合流…、
ほんとうに、よく計算されつくしているな~昔の人はすごいな~と、感動すら覚えてしまうものです。
現代、いくら技術面が向上したからといって、
水路などのハード面が整っていることが前提の話、
濁流で土砂がたまり、水が隅々にまで行き渡らせることができないなど、想定外のことと深刻に捉えます。
昔から親戚中で使わせてもらっている水田周りも、大量の水が流れ込んだようで、
その水量や勢いで土が削られたり、土砂が積もって排水ができなくなってしまったところがありました。
▼そこが、一面広範囲のセリ畑に。
いつもは、この時期にもなると全く水など通わない場所ですが、
濁流とともに土砂で堰き止められた場所に水が溜まり、そこに多くのセリが生えているようでした。
この様子に気づいたのは、11月初め。
水が流入したことで、本来この時期にはあまり生えてこないものが成長をはじめたようでした。
12月に入っても、まだまだ食べるには細いな~といった具合でしたが、少し収穫してみることに。
これを〝自然の恵み〟と採るか、〝脅威〟ととるか。
かつては、河川の氾濫によって豊かな土壌が築かれていた関東なので、
山からの養分もたっぷり流れ着いた可能性も、もしかしたらあるかもしれません。
河川区域内で(※本来は畑として使ってはいけない場所)野菜を育てている人も、
大部分が畝ごと野菜まで流れてしまったようでしたが、
「なんか土がいい感じに変わったかも~」とポジティブに切り替え、懲りずにまた植え付けから始めている様子でした。
現段階で〝自然の恵み〟と採るには、だいぶ難しいようにも思えてしまいますが、
ただ、『全ての事象には反作用がある』というとには間違いありませんし、
近い将来、自然の恵みと脅威は紙一重だな~と身をもって体験することがあるかもしれません。
作用のあるものには、必ず反作用がある。
薬で言うなれば、
目的とする主作用のために、副作用の可能性を完全には排除することはできないということ。
広義なところでは、〝何が主作用か?〟は受け手にとっても変わってくることでもありますし、
本来であれば〝副作用〟として添付文書に記載されていることでも、その作用機序を利用して、副作用を目的に服用する『適応外』という手段もあります。
今回、別にセリを栽培したかった訳ではなかったので、このセリは「副作用」による「副産物」という言い方もできます。
でも、リスクを負って、何を得るかは人それぞれ。
薬のように、高確率で主作用だけを狙えるようなものは、むしろ少なく、
自然が相手となると、さらにコントロールは難しくなるのは必定で、副作用の全てを予期することは既知の科学や理論では不可能。
今回は、たまたま運が良かっただけ。
偶然、自然の脅威によって、恵みももたらされる結果となりました。
※こんなことは、まずないと覚悟しておかないといけませんが…。
全ての事象に対して、随伴的に反作用が付いて回り、
身の回りの日常生活についても、すべての行為が連続的に連なっているものですし、
その事象からの反作用から得られた結果に、いまだに気付けていない事柄が多いにも関わらず、全知全能の神にでもなったかのように錯覚してしまいがちな現代科学。
そもそも人間ごときが、自然を相手に抗おうなんてこと自体が〝有害事象〟とも言えます。
奇しくも、今年は地球温暖化による気候変動の影響が日本でも否定できないような災害を経験し、
やっと世界で議論されていることに関心が高まるようになってきました。
でも、まだメディアを通した問題提起は〝スポンサー〟に配慮した発信に留まっていますし、
海外の呼びかけに賛同してデモに参加する若者も、なにか勘違いしているようにも思います。
デモをする動きが広まっていることは、良いことだと思いますが、
そういった日本学生を育んできた周囲の大人のレベルが、顕著に伺えるものになっていると感じています。
この日本という国の法規やその歴史を知っている大人が周囲にいたら、
どういった行為が実質的に功を奏すのか、もっと適切なアドバイスができるのではないかと思います。
むしろ、主張と矛盾した行動をしていることに気付いてすらいない。
『熱くて、野球ができない!』そのセンスは好きですが、
国に対策を求める〝他力本願〟な主張では、絶対に何も事を起こせません。
残念ながら、ご家庭で1番身近な大人と建設的な話し合いなど無く、
勝手に他人のせいにして騒ぎ立てているだけのだろうな~と、見ただけで分かるものでした。
結局、日本の学生のデモは、
若さ故、スポンサー企業らのミスリードに上手いこと乗せられていくだけなのかもしれません。
日本という国に関しては、どんなにインパクトのあるデモを行ったとしても、
スポンサー企業を動かすことができなければ、政治的な動きになることはまず不可能です。
デモなんかより既成事実を積み上げていくこと、それは自身の消費行動を変えることであって、
これまでの歴史を振り返ることができれば、それが1番の方法だと分かるはずなのですが…。
スポンサー企業に悪影響をもたらすほどの行動と世論を産み出さなければ、結果的に国は動きません。
国政は、後から追随してくるだけ、
国から、企業の経済活動に打撃のあるようなことは絶対にしませんよね。
『石炭火力』だけにフォーカスしようとする日本のメディアにも疑いの目を向けておく必要がありますし、
温室効果ガスは『二酸化炭素』だけではありません。
日本では、〝脱炭素へ〟の定義や関心事の攻防と、施策の真っただ中、
むしろ、石炭火力に注目を引きつけておくことが、当面の方針なのかもしれません。
スポンサー企業にとって都合の悪い部分は、もっと闇深。
やっぱり日本人だね~
学歴だけで、教養や常識に欠けていて~
モノが豊かで、中身プア~、とか…。
笑われるだけで済んでいた時代は、もう終わってしまったってだけのことでしょ。
日本に住んでいると、いろいろと麻痺してくるようですが、
経済活動にとって『不都合な科学』は、絶対に科学とは認めない国ですよ。
大手企業が莫大な研究費と宣伝費をかけて、
「科学的に因果関係があるとは結論付けることはできない」状態を引き延ばしにしている国です。
▼▼▼次回!見違えるほど立派になった。↴↴↴
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